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Radiohead Syndrome

日本の音楽メディアCoockiesceneで、読者が自由に投稿できるコーナーがあって、そこで上がってる特集の中に「Radiohead Syndrome」という特集があり色々な人達の彼らに対する解釈を読むことが出来た。『Kid A』を始めとした傑作の数々の中で彼らが世に与えた影響に対する”解釈”は十人十色で、そういった意味ではミュージシャンだけではなく、僕達リスナーにまで、「純粋」に音楽を聴いて、「純粋」に解釈をさせてくれる素晴らしいバンドであるということを再確認させられた。
http://www.cookiescene.jp/the-kink-controversy/index.php

こういうのを読んでいると、なんか無性に興奮してくるというか、なんと言っても僕が本格的に音楽漬けになってしまったキッカケは確実にレディオヘッドのおかげであるので僕も投稿しよう!とか思ってたんだけど、なんていうかクッキーシーンってデカいサイトだし、投稿してみたけど乗らなかったら恥ずかしい(笑)。そして最後の投稿からも3ヶ月近く経っていて今更感剥き出しなので、ブログの方に書いてみることにした。基本的に普段書いてるレビューとかは書きながら考えていることが多くて、まとまってない文がほとんどなんですが、今回は真面目に書いてみようと思います。多分まとまらないけど(笑)。


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僕がレディオヘッドに出会った頃は既に『Hail to the Chief』までリリースされていて、初めて聴いたアルバムがそれである。そして紛れもなく僕の青春だった。こんなこと書くと暗い人間と思われてしまうか もしれないが、決してそんなことはなく僕は彼らを一つのアーティストとして尊敬していただけにすぎない。

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90年代、CDの大幅な普及により発生した商業ロックバンド達、彼らは全てのインディー・バンドの敵であった。いや、或は嘲笑の対象だったかもしれない。ペイブメントは「音楽シーンはイカレてしまってる、新しいバンド、新しいバンド、どれも同じだ。」と歌い、スマッシング・パンプキンズやストーン・テンプル・パイロッツを名指しで批判したりもした。インディー・ロッカー達にとっては、そういったバンド達が創造性に欠け、何よりも音楽を楽しむという本来のあるべき姿、それを忘れてしまったかのように思えたのかもしれない。

そして紛れもなくレディオヘッドも、商業的に売れに売れていた。トム・ヨークの自己嫌悪に溢れる詩、当時のオルタナティヴ・ロックに通じる歪んだギター、全てが当時のリスナーの胸を打った。そして『OK Computer』。このアルバムで彼らは自らのキャリアを確固たる地位へと伸し上げたのである。この明らかに他のメジャー・バンドと一線を画す実験的なアルバムが売れたにもかかわらず、世間では商業ロックが旋風を巻き散らす。ついにこのアルバムを境に彼らはロックをやめてしまう。

「ロックなんてゴミくずだ。」

そうトムが言い放ち、2000年『Kid A』をリリースする。これは全ての商業ロックに対するアンチであり、啓示であった。それにも関わらず、僕はこのアルバムを聴いて、寧ろ彼らの音楽に対する情熱、つまりロックを感じた。彼らは結局は音楽とは切り離せない何かで繋がっていて、彼らの心の中にある揺るぎないロックという信念が、それに対する矛盾と格闘をしていたように見えた。そんな中で僕にはトムがロックそのものに対してゴミくずであると言ったとは到底思えない。僕には「全てがあるべき正しい場所に」というフレーズは”音楽”そのものに対して向けられている気がしてならないのだ。

さて、本題に戻るが、結局レディオヘッドは、『Kid A』で終わってしまったのか?今彼らの繋いだはずのバトンは誰が持っているのか?という問いに対しての答えは『In Rainbows』が与えてくれたと解釈している。僕が初めて彼らの新作を待ち望んで手にしたアルバムである。

”It's up to you”とサイトに書かれ、自分で好きに値段を決めて音源を落とすことが出来るシステム。この革新的な音源供給により、現在bandcampというmp3による音源供給サイトによって、誰でも”It's up to you”で音源をアップロード、ダウンロードできるようになるまで時代は進んでいる。僅かであるかもしれないがインディーとメジャーの情報格差は縮まってきているし、少なくともリスナーがインディー・ミュージックを手にする手段は増えた。つまり彼らは自分たちが意図せずとも、インディー界、いや音楽業界全体に影響を及ぼしているのだ。

総じてレディオヘッドは全てのインディー・ロッカーの抱える不満、ストレス、そして音楽を鳴らす喜びを代弁し、世に伝えていく力を持っている。何故なら彼らも元々は音楽オタクの集まるインディー・キッズ達の一つであり同じような不満や、音楽に対する情熱を持ったバンドであったのだから。僕はレディオヘッドは終わったとは思えない、少なくとも僕らがそう断定はできない。終わる時は彼らが終わらせる。そして彼らが持っているバトン、それは必然的に彼ら自身が持ち続けるのだ。新しいシーンが起こるとしたら、それはまた別のバトン。そして、それを今持っているアーティストは現実に存在しているではないか。

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Everything In Its Right Place




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